天から授かった"米の息吹"
Vol.10『米の商品化』
日本に、どのように、『米』が、浸透していったのか?
<米は、どのように商品化(近代化)が進んだのか>
農業技術の「科学化」
江戸時代までは経験と勘に頼っていた米作りが、
明治時代に「農学」という学問になりました。
品種改良の始まり
国が主導して、より収穫量が多く、寒さや病気に強い品種(「神力」や「亀の尾」など)が選別・育成されました。
これが現代のブランド米の先祖です。
亀の尾(かめのお)とは?
特徴: 1893年(明治26年)に山形県庄内地方の篤農家、
阿部亀治(あべかめじ)によって育成された品種です。
冷たい水が流れる田んぼでも育ち、いもち病などの病気に
非常に強かったため、「冷害に勝つ米」として北日本を中心に
爆発的に普及しました。
味: さっぱりとした食感と、噛むほどに広がる上品な甘み、
しっかりとした粒感があります。
現在: 一時姿を消しましたが、
漫画『夏子の酒』
のモデルになったことでも有名になり、現在は主に高品質な日本酒の
醸造用(酒米)として復活・栽培されています。
神力(しんりき)とは?
特徴: 1877年(明治10年)頃、兵庫県の丸尾重次郎が、
寒さや病気に強い特徴を持った3本の穂を発見したこと
から生まれた品種です。西日本を中心に全国へ広がり、
当時の日本の米生産量を支えた多収品種です。
特徴: 倒伏に強く、病気にも強い特性がありました。
歴史的意義: 神力は、後の品種改良において多くの
優良品種の親となり、東日本の「亀の尾」、西日本の
「神力」と称されるほど、現代の品種の血筋に大きな
影響を与えています。
化学肥料の導入
それまでの干魚や堆肥だけでなく、海外から輸入されたリン酸肥料などが使われ始め、
収穫量が飛躍的に伸びました。
耕地整理
バラバラだった田んぼを四角く整え、水の管理をしやすくする
近代的な土木工事が全国で始まりました。

明治末期には江戸時代の倍近い米が獲れるようになりましたが、その多くは「小作料」や「税」として
吸い上げられ、都市の「ハイカラ」な食卓を支える輸出用や軍需用へと回されました。
生産量が右肩上がりに伸びる一方で、農村の生活は、楽にならなかったという事実があります。
<明治に商品化された米一粒に刻まれた、二つの顔>
1.米が経済を回す最も重要な商品道具になった
①. 「地租改正」による現金化の強制
これが資本主義の基盤になる重要なことです。
収穫したお米をそのまま納める(年貢)から土地の値段に
対して、「現金」で税金を納める(地租)になった。
農家は、税金を払うために、まずお米を市場で売って現金に
換えなければならなくなりました。これによって、
お米は強制的に「商品」として流通ルートに
乗せられることになりました。
②. 「米穀取引所」の近代化
お米の売り買いが、現代の株式投資のような
システムに進化しました。
明治10年代から、全国各地に「米穀取引所」が整備されました。
そこで決まる「米相場(値段)」が、新聞や電信で全国へ
発信されるようになり、
お米は「投資や投機の対象」という、純粋な商品としての
性格を強めました。
③. 加工と流通の機械化
精米のプロセスも、人力から機械へとシフトしました。
精米機の登場: 1890年代(明治20年代)ごろから、蒸気機関や石油発動機を使った大型の精米機が登場します。
これにより、白米を大量生産して都市部へ供給することが可能になりました。
鉄道輸送: 鉄道の開通により、地方ごとの「貴重な食糧」から、東京や大阪といった大都市へ供給される
「コモディティ(共通の品物)」になったのです。
④.近代化の「光と影」
近代化によってお米の生産量は増えましたが、その一方で庶民の生活には厳しい面もありました。
「米騒動」への伏線になりました。
お米が市場商品になったことで、価格が投機(ギャンブル的な売買)の対象になり、価格が乱高下しました これが後の大正時代に起きる「米騒動」へとつながる社会不安を生むことになります。 明治時代のお米は、まさに「伝統的な主食」から「近代国家を支える経済の柱」へと脱皮した時代なのです。
2.都会で新しい文化として花開いた「ハイカラなお米」
農村での切実な「お米の節約」とは正反対に、明治時代の都市部では、お米を「洋風にアレンジして楽しむ」という、
現代の私たちが大好きなメニューの原型が次々と誕生しました。
これこそが、食文化における「お米の近代化」文明開花の華やかな側面です。
江戸時代まで日本人が牛肉をほとんど食べてませんでした。明治時代に入って爆発的に広まったのには、 「国家による強引なプロモーション」と「コンプレックスの克服」という裏事情があります。
『肉食=文明開化』
1,000年以上にわたって「肉食は穢(けが)れ」と遠ざけてきた日本人が、
一斉に手のひらを返した理由
明治政府は、日本人が欧米人に比べて体格が小さいのは「肉を食べていないからだ」と考えました。
天皇の肉食解禁(1872年): 1200年近く続いていた「肉食禁止の禁忌」を打ち破るため、
明治天皇が自ら牛肉を食べる姿を公開しました。これが国民に「肉を食べるのは恥ずかしいことではなく、
「新しい時代の象徴だ」と思わせる最大のインパクトになりました。
「牛鍋を食わぬは開化不進奴(ひらけぬやつ)」
牛鍋を食べないやつは時代遅れだ、
という流行語まで生まれ、ファッション感覚で食べる人が続出しました。
仏教的な「穢れ(けがれ)」の払拭
江戸時代までは、仏教の影響で「四つ足の動物を食べるのは卑しい、縁起が悪い」
という強い忌避感がありました。
「現人神である天皇が召し上がるなら、肉食は穢れではない」
このニュースによって、国民の心理的ハードルが一気に取り払われました。

薬食い(くすりぐい)として、江戸時代も「薬」としてコッソリ食べている人はいましたが、
堂々と食べる雰囲気ではありませんでした。
味付けの工夫は、 最初は肉の臭みを消すために、日本人に馴染みのある「味噌」で煮込みました。
これが「牛鍋」です。和風の味付けにすることで、心理的なハードルを一気に下げたのです。
富国強兵と「軍隊」
「強い兵隊を作るには肉が必要だ」という栄養学的な理由もありました。
軍隊の食事に牛肉(大和煮の缶詰など)が採用され、
農村出身の若者たちが生まれて初めて牛肉を口にしました。
彼らが除隊して故郷に帰ることで、全国の農村にも「肉の味」が伝わっていきました。
カレーライス(海軍から家庭へ)
もともとはイギリス海軍の「シチュー」をヒントに、 日本海軍が考案しました。 パンだと腹持ちが悪く、日本兵に不評だったため、 小麦粉でとろみをつけたカレーをご飯にかけました。 これが「ライスカレー」の始まりです。 近代化の象徴であるジャガイモ、玉ねぎ、人参という 「西洋野菜」をお米と一緒に食べるスタイルは、 当時の最先端でした。
オムライス(銀座の屋台・レストラン)
明治30年代、銀座の「煉瓦亭」などで誕生したと 言われています。 誕生のきっかけ: 忙しい厨房で、コックが片手で食べられる ように「ご飯と卵を混ぜて焼いた」のが始まりという 説があります。 お米の変身: それまで「醤油や味噌」で食べていたお米が、 「ケチャップやバター」と出会った衝撃的な瞬間でした。
牛鍋(ぎゅうなべ)「文明開化の味がする」代名詞

醤油と砂糖で煮込んだ牛肉は、白いご飯に最高に合いました。
社会現象のように 「牛鍋を食わねば開化不進奴(ひらけぬやつ)」と言われるほど流行し、人々はこぞって食べました。