• 桜 日本心創り・智慧創り研究所

古から語り継がれてきた『水』は生命の根源
『健康の鍵は水にあり』
Vol.1「水の歴史」

悠久の時を超えて生命を育む恵み、水の歴史
水は、地球誕生以来、生命の源として、そして人類の文明の発展を支えてきた重要な存在です。
その歴史は、悠久の昔から現代に至るまで、様々な時代を舞台に、壮大なドラマを繰り広げてきました。

地球とともに生まれた水

火山

生命のゆりかごとしての役割

わに
水滴

古代文明発展と共に進化する水との関わり

船

技術革新

水車

水資源の保護

湧水

水源の管理

井戸

古から『水』は、「生命維持」、「文明改革」「穢れを祓う力」、『癒しの力』、『不老不死』、 人類が生きたいくのに欠かせないものです。そして様々な物語や事柄が語り継がれています。

『健康の鍵は水にあり』

Vol.1
水の歴史

<古代人は水をどのようにして確保していたのか?>

人類は古くから水源を求めて生活してきました。
下記ような方法で水を確保していたとかんがえられます。

泉

川や泉から直接汲み取る 最も簡単な方法であり、 人類が最初に利用した方法と考えられます。

湧水

地表から自然に湧き出る水を利用しました。

瓶

土器に雨水を貯めて利用していました。

雪

寒冷地域では、雪や氷を溶かして水を飲んでいました。

井戸

井戸を掘り,祭祀の場として、崇めていた。 井戸水が飲料になるのは奈良時代ぐらいからです。

古来の人々は、水に様々な精神的な意味を付与していました。

[生命の源]
水は生命の源であり、全ての存在を育む力が あると信じられていました。

[霊的な存在]
水には神々が宿ると考えられ、 水辺は神聖な場所として扱われました。

[魂の洗浄]
水は魂を清め、悪霊を払う力があると信じられていました。

<人と水の関係は太古から伝承されている>

縄文時代
水田遺構と呼ばれる水田跡が三内丸山遺跡、吉野ヶ里遺跡、から見つかっています。 水田遺構は、縄文時代の人々が灌漑技術を用いて水を管理していたことを示しています。 さらに、貝塚は、縄文時代の人々が水辺で生活していたことを示す重要な証拠です。 貝殻の分析から、当時の水質や環境を知ることもできます。 さらに水辺には、祭祀遺構と呼ばれる祭祀が行われた場所が見つかっています。 これらの遺構は、縄文時代の人々が水に対して信仰を持っていたことを示しています。

三内1

復元大型掘立て柱と竪穴建物
三内丸山遺跡センター蔵/田中義道撮影

吉野

吉野ケ里遺跡 外壕と逆茂木

環濠

唐子・鍵村の環濠模型

弥生時代
現代の思い浮かべる「井戸」と原始・古代の人たちが掘っていた井戸・土坑は用ニュアンスが違うようです。 弥生〜古墳時代の神聖な水の貯水「井戸」通り道」の「土坑」は祭祀用の穴そして灌漑用であった。 川や井戸、溝の水面が「向こう側にいる神」との境界で、祭祀物を入れることにより神と通じている。 これが「水辺の祭祀」とされていた。 土坑や溝の底が「地下他界に住まう神」への連絡手段であり地下の神を導く路である。 川のすぐそばにある土坑・溝は「水辺の祀り」の施設だった。 井戸が飲料用になるまでには古墳時代以降、渡来人によって新しい技術が持ち込まれてからのようです。 水辺は神聖な場所として扱われた。古来日本では、水神信仰は重要な祭祀であったのです。

人間が生活する上で飲料水の確保は欠かせません。縄文時代までは、川水や自然湧水を生活用水に利用していましたが、 弥生時代になると渡来人により技術進歩により灌漑用水に地下水をくみ上げる井戸の利用が始まりました。

<『井戸』の始まり>

井戸

世界最古の井戸は、
アメリカ大陸にある 「クローヴィス遺跡」から発見されたもので、BC11500年頃(旧石器時代)のものとされています。 この井戸は、直径約60cm、深さ約1.4mで、浄水目的で作られたと考えられています。

穴

日本縄文時代
縄文時代後期から晩期(約2500年前~2000年前)
にかけて、井戸が使われていた可能性が高いと考えられています。 奈良県桜井市の「池之森遺跡」や 三内丸山遺跡などからは、井戸らしき土坑や水汲み用の道具が出土しています。 縄文時代の井戸は、弥生時代の井戸に比べて浅く、小規模なものだったと考えられています。 これは、当時の技術的な制約や、地下水位の高低によるものと思われます。

三内土器

出典:第315号土坑三内丸山遺跡
https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/ sanmaru_search/detail/?c=9497

土坑

出典:第315号土坑三内丸山遺br> https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/ sanmaru_search/detail/?c=9497

村

出典:ムラ風景 三内丸山遺跡
センター蔵/田中義道撮影 https://sannaimaruyama.pref.aomori.jp/ sanmaru_search/detail/?c=13555

弥生時代
灌漑用の井戸が各地で作られるようになりました。 弥生時代の井戸は、深さ数メートルから十数メートルに 達するものもあり、木組みや石組みで造られていました。 古代日本では、井戸は生活に欠かせないものでした。 農業用水や飲料水として利用されるだけでなく、 神聖な場所としても考えられていました。

水路
土器

出典:唐子鍵遺跡博物館
水ピッチャーと水瓶

稲

日本最古の井戸として語り継がれている2つの神話をご紹介いたします。

玉乃井

『玉乃井』神話
鹿児島県にある玉乃井。
神武天皇の祖父山幸彦が豊玉姫と出会った場所

海の神ワタツミの娘・トヨタマヒメは、美しい真珠に象徴される女神。 トヨタマヒメが朝夕、 水をくんでいた玉乃井は、日本最古の井戸とも言われている。ある日のこと、なくしてしまった 兄の釣り針を探して、ワタツミを訪ねたヒコホホデミノミコト(山幸彦)ニニギの3子は、 この地でトヨタマヒメと出会われる。 そしてお互いに一目で心を通わせ結ばれた。 この結婚によって、ヒコホホデミノミコトは釣り針と潮満珠(しおみつたま)、 潮乾珠(しおふるたま)を手に入れたという。

『因幡の白うさぎ』
神話の兎が八上姫

大国主

大国主大神が八上姫に産ませた御子に産湯をさせるため掘った
『三つの井戸』神話(生井、福井、綱長井)

母神 八上姫(やかみひめ)様が湯あみされ、 お子神 木俣神(このまたのかみ)を『産湯』なされた霊泉です。 後産が終わったあと小さな桶にお湯をはり、お湯で取り上げた子どものケガレを祓います。 産湯には、出産のケガレを祓い清め、生命の発展を祈るとともに「此の世」の人間の仲間 入りをさせるという意味があるのです。また、産湯には各地で様々なしきたりがあり特に 塩や酒を入れると子どもが風邪をひかないという言い伝えもあります。神様にお供えする 塩や酒で子どもの体を清め、発育を願うという意味があるのです。
日本最古の井戸を御分霊して現在の宮中にも祀られています。
3つの井戸のご利益
【生井】いくい・・・生気ある神、子安、病気平癒
【福井】(栄久井)さくい・・・栄える井、母子の発展、家運隆昌
【綱長井】つながい・・・つるべ綱の長い井、母子の長寿、家内安全

二つの神話の共通点は、男女の出会いの場
生命の根源が井戸だと信じられ、語り継がれてきたのです。

ミニ知識
古来からの風習が現代に伝承されている【「若水迎え」と言う風習】 お正月「元日の朝に初めて汲む水」のことを「若水」と言います。 若水は、元日の行事の使い水で、井戸水や湧水で口をすすいで身を清めたり、神への供物や家族の食物の煮たきに用いたりする為、 「一年の邪気を除く」と言います。儀礼的な色彩が濃く、井戸に餅や洗米を供え、祝いの唱え言をして汲む土地が多かったそうです。 水道の普及で現在ではこの風習を意識している人は少ないですが、太古から水に対する感謝の気持ちは、忘れないで伝承したいものです。

生活用用水としての井戸の広まり

奈良時代以降になると、井戸は寺院や神社、貴族の家などに多く作られ生活用水として広まりました。 戦国時代には、城内の井戸は勝敗に大きく作用する為不可欠なのものになりました。 また役場などには共同井戸が設けられ、人々の生活を支えました。
[戦国時代の復元井戸]
戦国大名朝倉氏遺跡より

File:Well with bucket, Ichijodani 200507.jpg
By , CC BY-SA 3.0, Link

江戸時代になると、井戸は庶民の生活にも 普及しました。 深井戸掘りの技術が進歩し、 より深い井戸を掘ることが 可能になったためです。 明治時代以降になると、上水道が普及し、 井戸の数は減少していきますが、 現在でも井戸水を利用している 地域は多くあります。

<安全な「水」水道が復旧したのはいつ?>

江戸城

日本で初めて水道施設ができたのは、江戸時代になります。

木樋1
(1653年承応2年)徳川家康が江戸開府時に 小石川上水(後の神田上水)を作らせたのが始まりです。 江戸時代の水道管は『木樋』(もくひ)と言われる石や木で作られてたものを使用して 井戸水などを貯水して水をくみあげて生活用水とされてました。 その後、玉川上水、神田上水など、江戸市内に多くの木樋・石樋による上水が整備されていきました。
木樋2
神田

小石川後楽園・神田上水跡

名所2

松濤軒斎藤長秋 著 ほか『江戸名所図会 7巻』 [1],須原屋茂兵衛[ほか],天保5-7 [1834-1836]. 国立国会図書館
デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2563380
(参照 2024-07-25)

名所3

松濤軒斎藤長秋 著 ほか『江戸名所図会 7巻』 [1],須原屋茂兵衛[ほか],天保5-7 [1834-1836]. 国立国会図書館
デジタルコレクション https://dl.ndl.go.jp/pid/2563380
(参照 2024-07-25)

明治時代には水質悪化のため下水道も設けられ徐々に、衛生的な環境も整えてられていきました。 現在日本の下水処理システムは世界的にトップクラスレベルと言えます。 蛇口から綺麗な水が出てきて飲める国は世界でも限られ日本はその中の国に含まれてます。

蛇口
日本が現在当たり前のように蛇口から水を使えるように なったのは近年1950年ごろの水道普及率は26%ぐらい しかありませんでした。日本で安全な水が供給できる水道が 90%普及したのは近年のこと、1973年高度成長期に なります。たった50年ほど前なのです。限りある資源『水』 感謝して大切につかいたいものです。

更新2024/8/5
次回:Vol.2 神々が織りなす『水神話』